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仰木 彬 12/15

2005年12月15日、午後4時10分
福岡市内の病院で呼吸不全のため、一人の偉大な野球人が、その壮絶な野球人生の幕を閉じた・・・


その男の名は、仰木彬。
オリックスブルーウェーブ黄金期を築き、オリックスバファローズの初代監督となった男である。


僕は仰木監督の知り合いでもないし、実際に話したこともない。
そもそも、会ったことすらない。


でも、僕は毎日試合を見ることで仰木さんに対し、親しみを覚え、さながら自分のおじいちゃんのように感じていた。
それほど、仰木彬という人物を愛し、尊敬していた。


1954年に西鉄に入団し、67年の引退まで二塁手として活躍。
現役時代は、中西稲尾らとともに黄金時代を築いた。

その後、70年から近鉄で18年間コーチを務めた後、88年に近鉄の監督に就任。
前年最下位のチームを数々の「仰木マジック」で率いて、西武とデッドヒートを演じながらも、野球ファンなら知っていて当然と思われる「10・19」によって優勝を逃した。
しかし、その翌年、129試合目で西武オリックスを振り切り優勝。
その後のドラフトでは8球団が競合した野茂を引き当てた。

94年にオリックスの監督に就任すると、当時3年目の鈴木一朗を見出し、登録名をイチローに変更。
プロ野球最多安打となる210安打をマークさせた。
阪神大震災が起きた95年から2年連続でパリーグ制覇をし、96年には長嶋巨人を破って日本一に輝き、震災に沈む神戸市民を勇気づけた。

04年に野球殿堂入り
そして05年、統合球団オリックスバファローズ初代監督に就任し、プロ野球史上最年長監督となった。


仰木さんは94年12月に最初の肺がんの手術を受けている。
そして、03年に再発。
一旦は完治したように思えていたが、体調は思わしくなく、05年の監督としての激務の中で病魔は再び進行。
最終戦となった9月28年の西武戦では、階段を登ることすら出来ないほどで、選手や関係者はもちろん、試合を見ていた僕たちファンの目で見ても分かるほど、衰弱していた。。。

そして辞任を申し出て、ユニフォームを脱ぐと同時に福岡市内の病院に入院。

「早く春になればいい。選手の皆さん、キャンプ地でまたお会いしましょう」
とうれしそうに語っていた仰木さん
しかし、11月の球団納会出席を急遽キャンセルしたあたりから、容体が悪化したもようで、15日午後4時過ぎ、野球を愛し、野球に生涯を捧げた仰木氏は、帰らぬ人となった。。。

ユニフォームを脱いでわずか二ヶ月のことだった。


シーズン終盤の10月、オリックス2年目の監督が噂されだした時に、
「もちろん来年もやりますよ。グラウンド上で死んだら本望じゃないですか」
と言っていたという。

食事も満足にとれず、誰の目にも弱っているのがわかっている中で、このような発言をするとは、さすがは野球に全てを捧げた男である。




今日で仰木さんの死から丸一年。
しかし、今でもまるで昨日のことのように、笑顔で選手達とおどけながら、酒を飲み、マジックを振るう仰木さんの姿が思い浮かぶ。


僕は12月15日という日を絶対に忘れることはない。
いや、忘れることなどできるはずがないだろう。



仰木彬という野球バカを愛してしまった、一人の野球バカとして・・・
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